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はじめまして。ササキと申します。
私は、大手メーカーで働いているサラリーマンです。いわゆるSNSではJTCと呼ばれる企業で働いています。
私の「サラリーマン人生」を少し語らせてください。
サラリーマン ササキの学生時代
私の父は地元ではちょっとした有名な経営者でした。
今までお金に困って生活をしたこともなく、今思えば、相当恵まれた生活を送ってきたと思います。
幼稚園受験をして、中学校までエスカレーターで進学。高校は県内で一番偏差値の高い高校に進学しました。
小さい頃からスポーツ万能でしたし、仲間にも恵まれて、自分で言うのもなんですが「最高な学生生活」を送ってきたと思います。
大学は慶應に進学し、学生時代からセルシオ(トヨタの高級車)を乗り回し、親のすねをかじりまくり、遊び放題。
ササキさんより提供いただいた写真
ササキさんが行かれたシンガポール旅行の想い出
バイトなどほとんどしてこなかった。
酒、タバコ、ギャンブル。そして慶應ブランドと高級車の力で女にも困ることのない学生時代を過ごしてきた。
仲間にも恵まれ、とにかく最高だった。
自分で言うことではないが、「俺は凄い。他のやつとは生まれた星が違うのだ。」とか思っていた痛い奴だった。
しかし、こんな私のプライドは社会に出て、砕け散ることになる。
サラリーマン ササキの挫折と野望
ササキさんより提供いただいた写真
イタリア最高峰4,200mから見下ろした絶景
就職活動は簡単に終わった。持ち前の強運を発動させ、有名一流企業への就職に無事成功。
エリート街道まっしぐらのノリノリ状態。そう当時は思っていた。
いざ入社してみると、東大、京大、阪大、早慶など各県のエリート達が集結した社だった。
私は上司・先輩にボコボコに怒られまくる毎日を過ごす。
周りと比較しても圧倒的に出来が悪い。部門ではポンコツとしてかなりの有名人になっていた。
毎日遅くまで働き、日曜日の夕方は会社に行くのが嫌で仕方ないサザエさん症候群になっていた。
それでもむしゃらに働き続き、耐えること4年。ようやく周囲から認められるようになっていった。
そして10年目で海外駐在に抜擢されるまでに成長できた。
同期の中では2番目の早さだった。
「俺はここからだ」と出世への道に希望を膨らませていたのだが、駐在して3年が過ぎ、絶望を味わうことになる。
なんと年下の後輩が私よりも早く昇格した。
年功序列の終わりを告げるゴングが鳴った瞬間であり、私の出世の先が見えた瞬間でもあった。
自分は特別な人間だと信じ込んでいたので、かなり絶望した。10年以上勤めている会社だから自分のキャリアの先もわかってしまった。
窓際のおっさんの気持ちが初めて手に取るようにわかった。
絶望という感情は簡単になくならず、長い期間、悩みに悩んだ。
30代半ばになって、「自分探し」のセミナーに多額のお金を払って参加した。
出した答えは「出世で負けても、金と自由では負けない人間になろう。よし、副業をやるぞ」だった。
それ以降、大好きな漫画や映画をやめ、飲み会も断るようになった。そして朝活をはじめ、ネットビジネスで一花咲かせるという野望を頂き、Xを始めたのである。
人は希望を失うと前に進めない。必ず希望を見出さなければならないというのが大きな学びの1つです。
そして勝手に会社は俺を高評価しているいうポジティブマインドを反省し、会社は信用し過ぎてはダメだと考えるようになった。
サラリーマンをしていれば、大きな絶望や挫折を味わうことが多くある。希望は与えられるのではなく、自分で見出していくものだ。
家族でも副業でも趣味でも良い。希望を見つけ前に進むエネルギーこそ、会社に依存しない働き方であるのだ。
ササキさんより提供いただいた写真
パラグライダーを楽しむ ササキさん
30代半ばになって、「自分探し」のセミナーに多額のお金を払って参加した。
出した答えは「出世で負けても、金と自由では負けない人間になろう。よし、副業をやるぞ」だった。
それ以降、大好きな漫画や映画をやめ、飲み会も断るようになった。そして朝活をはじめ、ネットビジネスで一花咲かせるという野望を頂き、Xを始めたのである。
人は希望を失うと前に進めない。必ず希望を見出さなければならないというのが大きな学びの1つです。
そして勝手に会社は俺を高評価しているいうポジティブマインドを反省し、会社は信用し過ぎてはダメだと考えるようになった。
サラリーマンをしていれば、大きな絶望や挫折を味わうことが多くある。希望は与えられるのではなく、自分で見出していくものだ。
家族でも副業でも趣味でも良い。希望を見つけ前に進むエネルギーこそ、会社に依存しない働き方であるのだ。
\皆さんの “サラリーマン人生” を大募集!/
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